国語教科書の思想

素晴らしい本が世に出たと思う。(読んでないけど)
リンク先の書評も斜め読みだけれどもね。


国語教育ってやつがまさしく「解釈を強制する」ものなのです。
評論ならまだしも、小説の解釈なんざ十人十色なのにも関わらず「正解」がある。点数がつけられる。
このことに昔から疑問を抱いていました。


具体的に俺が思っている国語教育への問題点。
まずは小説。
授業の関係で短編しかできないというのは問題だよなぁ。
高等学校までいけば一年間ひとつの本をやる、ということも出来ないことはないでしょう。
その上で、多彩な解釈・議論をするべき。
(評価するとしたら、その授業への取り組み方でしか評価できないでしょうが)
そして評論文の類に結構なバイアスがかかっているということ。
(左翼畑の人間が書いた文章が多いのでね)


井上ひさしの「説明文の伝達度」という文章を国語の時間にやりました。
一部の授業に出ていなかったので分からなかったけど、かなり嫌味ったらしくてムカつく表現を「ユーモア、皮肉」と言いますかい。
なので「個人的にはかなり嫌味に感じた」と書いておいたけど。
私が説明書の作者だったらばたぶん殴り込みに行きますよ。
まぁ個人的に井上ひさしが大嫌い(具体的?には採血くらい嫌い)というのもあるけど。
本当に説明書を良くするためというより、「俺はこんなに日本語がうまく書けるんだぞ、偉ぇだろー」って嫌味ったらしさを感じた。


こういう斜めから見る解釈も認めないとだめかなぁ、って思っています。
(ちなみに上記のにはロジカルな理由があるので、今度国語教師と一発論戦かましてやろうかなと思いますが)


幸いにして私が受験する大学には「国語」の科目自体が無いですけどね。
そもそも現代国語の勉強をする気にならないのですよ。解釈を強制するから。
何度も言いたかったことを、国語教育者の立場から代弁してくれたのでかなりすっきりしました。まぁ、読んでないけど。
かなーーーーーり積んでる本が多いので、それらを消化したら買うかな。