「日本人」
日本人、日本社会、日本文化。
と一括りにされますが、それ自体が大変ファジィなものなんですね。
どうファジィかというと絶対的な存在が全く存在しない。
世界的に見てもこれはとっても奇異なことです。
普通、人間は(死を受け入れるため、と言われています)神という存在を作り出します。
それが宗教を生み、絶対的なものとなります。
だからイスラム教徒や創価学会員は宗教のために死ねるのです。
だから、その「絶対的な存在」として昔の「mass」は天皇陛下という虚像を作り上げた。
そして今、護憲論者と言われる人たちはおそらく「絶対的な存在」としての「憲法第九条」を作り上げようとしている。
日本文化って奴が実はとても寛容なんじゃないかな、と思います。
実は根底にかなり仏教文化が根付いているからかもしれないけども。
この手の文化人類学だとか社会学だとかはプロにお任せします。あくまで、アマチュアとしての分析です。
昔からアウトローを認めてきた。社会のスタンダード、massからずれた人間を許容してきた。
僕はこのmassとの不協和に悩んでいました。誰も俺みたいなサブカル少年分かっちゃくれないと思っていました。
でもそんなこたぁ無かったんだよなぁ…。
で。「日本人」論だけど。ファジィでいいんじゃないと思えてきた。
現在ある構図としては「絶対的な存在」として「憲法第九条」をとるか「軍隊」をとるか、のどちらか、ということです。
僕はどちらかというと「軍隊」の方だけれども、徴兵制度は嫌だなぁ。行きたくねぇっす戦争。ただ、愛する者*1を護るために俺なりのやりかたで戦うと思いますけど。
そしてもう一つ。
そのファジィから生まれた、生の「日本文化」が世界で意外と支持されているということ。
エービバディサムライスシゲイシャー、ビューティフォーフジヤマハッハッハの時代は終わったということ。
「今の」日本文化が支持されているということ。
なんか、平和的に日本は無意識下のうちに「文化による侵略」*2をやってるんじゃないかなぁ、とか思ったり。
なんてことを、タイの高校がセーラー服採用したら大人気になったということを見て思ったのですがね。