感性で生きる人間、感情で生きる人間、そして写真

自分の感性というものを信じています。
感性。
主観。
不思議なものです。
感性が似ている人間同士は不思議と価値観が似ている。
(真逆な人間も、かえって惹かれ合うような気もするけど)
「よくわからないけど、なんか好き」ってやつです。


最近、ますます自分の感性が好きになってきました。
多分、シンクロする人間が結構集まってきたからだと思うけど。
感性のシンクロって面白いよ。


対して、感情で生きる人間はどうも苦手な気がします。
主観を客観と勘違いしている人間、かな。
でも自分は基本的に物事を客観視しています。
でも理由が分からないものがある。
涙。
涙だけは、感性ががっちりとシンクロしないとでないんです。自分の場合。
客の立場に立った場合は、だけど。


写真って楽しいです。
自分はフルマニュアルで写真を敢えて撮らない人間です。
基本的にカメラ任せ。フルオート、AF。
(最も、シャッタースピード優先/絞り優先/フラッシュの有無・光量くらいの判断はします。そういう「あまりにもかけ離れすぎている」写真が撮れるのは嫌なので。僕はちょっと格好良い言葉を使うと「カメラのご機嫌をとる」のが楽しいの。)
カメラやフィルムには性格というか、不思議と感性を感じるんです。
機械なのに。
自分の感性を表現する手段としてではなく、自分とある程度シンクロしているけども独特の感性というか、色彩感覚を持っているカメラのフルオートが好きなの。
そして何でEVFでなく光学ファインダに拘るのかも分かってきた。
光学ファインダの世界は自分の目に近いです。
でも出力される写真は全然違うんだな。
カメラの目、レンズとCCDが見た世界。
自分と似ているけど自分の目と同じ写真が撮れるわけではない。
デジタル一眼が好きなのは、デジタルの便利さとアナログのファジィさが同居しているからだと思うんだよなぁ。
すごく短いものの「現像されるまでのドキドキ」を味わえます。
(僕の場合「自分の見たイメージと似ているか?」というより「こいつはどういう風に、この世界を切り取るのか?」という)


ちなみにカメラの好みだけれども。
中途半端が嫌いで、開き直っているのが好きです。
あまりにもチープすぎるか(にゃーにゃーHOLGA、大好きです。あれで撮ったストマジの写真は、自分でも大好きだと言える一枚。)、拘っているか。どっちか。
(コンパクトデジカメはあまりにも「写真を撮ることが趣味ではない人たち」に寄りすぎている)
E-10は毎日持ち歩くのは辛いので大抵W21SAで撮っていますが。こいつは残念ながら当然光学ファインダなどは備えていませんが、すごく良い写真が撮れます。ある程度ご機嫌とりをしてやる必要はあるけど。
チープなのに魂がこもっているからかな。惜しむらくは、キセノンフラッシュさえ着いていれば完璧なのですが。CCD屋が作ったカメラだからなぁ。
でも、あのドキドキ感が好きなのでクソ・チープなデジカメが欲しいなぁ。トイデジカメ欲しい。
オリンパスのカメラってデジカメしか触れてないですけど、僕の感性だとすごく良く感じる写真が撮れます。
古いけどC-21.commu、持ち歩いてみようかな。光学実像式ファインダ、200万画素、光学ズーム無し。
にゃーにゃーに近い感覚があるカメラ。(最も残念なことに単焦点じゃないけれども。でも、光学系が壮絶にチープなところが素敵なの。)
こいつで撮った旅の写真がすごく楽しい。旅を思い出させてくれる。だから、旅にはこいつを持っていくことにしよう。


脈絡ないけど、そーいうことです。