煙草をまた吸い始めた。

禁煙を止めたという言い方は止めよう。
自分がなぜ「喫煙」という行動に依存するのか、そしてその依存から抜けられないのか今ようやく分かったからだ。
まぁ、言い訳ですよ。


上の文章を書いていてふと煙草が吸いたくなった。
何故かは知らないけれども。
そして、家にまだ残っていた賞味期限切れの煙草を吸った。


自分にとっての煙草の記憶。
それは父と祖父の幻影。


まずは父の幻影について。
自分の父は、極端に幼い自分と関わらなかった。
理由を問いただした(私によってではないかもしれないが)ら、祖父(母方の、である)に遠慮していた、と言っていた。
とにかく、父との思い出というか、自分にとっての「父」の記憶がないのだ。
でも、何故か父がラークを吸っていて、一緒にラークを買いに行ったことだけは覚えているんだ。
そして父が煙草を止めた大きな理由が、俺が「煙草臭い」と言ったことだ、とも言っていた。


祖父の幻影。
祖父は俺にとって完璧な存在だった。
醜い部分も見た。
だけれども俺と接するときだけは常に優しかったんだ。
怒りやすい人だったけれども、俺のことを怒ったことだけはない。
つねに、優しい祖父だった。
しかし今になって冷静に考えてみると、祖父は間違いなく俺に依存していたのだろう。
溺愛とも言えるその接し方からするに。
祖父は俺が小学校四年生のころに胃癌で死んだ。
そんな祖父の「優しい」記憶。
自分に唯一優しい言葉をかけてくれる人。
しかしその優しさも真の優しさではなかったんだろうな、と思う。


その祖父は身内で唯一の身近な喫煙者だった。
父は心臓を病み煙草を止めたから。
祖父も心臓を病んだときに止めたのだけれども、それまではずっと煙草を吸っていたんだ。
吸っていたのはショートピース。


「煙草」というものに自分がそこまで執着するのはきっと、そんな理由なんだと思う。
プロに言ったらば一笑に付されそうだけれども。
そして「煙草」が「大人」の証拠であったというものあるんだろうね。
だから俺は背伸びして、まだ法律で「吸ってはいけない」と言われている煙草に依存するのだろう。


明日ショートピースを買ってこよう。それも缶で。
外や、煙草を吸わない人の前では吸わないようにしよう。
喫煙者はニコチンが切れると苛々してしまうし思考能力が大幅に低下するので、ファイヤーブレイクであるとかスヌースであるとか、ニコチンを補給する手段も手に入れよう。
そんなこんなで、私は再び煙草を吸い始めたのでした。


この話、彼女にはきちんとしようと思います。
彼女ともっと良好な、深い関係が築ければすぱっと止められるような気もするし。
(そして受け入れてくれなければきっと、もう無理なんだろうね)