愛を知らない子供、失われた時間

相当プライベートな内容なので書きませんが、俺はきっと愛を知らない子供なんだと思う。
愛。
家族愛と、狭い意味での「愛」*1
不思議な言葉だ。


多くの、ふつうの人間は自然に、歪んだかたちではなく人を愛することができます。
性的な結びつきと、家族の愛というかたちで。
でも俺はきっと「愛」をまだ知らないんだ。
「自分でもよく分かんねーよ」と良く言ったけれども。


失われた時間は長いな。
今日少し母親の俺への「愛」を感じた。
歪んだかたちでしか俺はそれを確認できなかったけれども。


しばらく煙草を吸っていなかったことを取り戻すかのように俺は今チェーンスモーキングしました。
もう一本吸ったら、寝ようっと。
明日、早起きしなくちゃいけないんです。


あと主治医(心のです)は変えようかな。
次薬を貰いにいったときに正直に話してみるか。
「何故か知らないけれども貴方にはいろいろ話す気にならないのです」と。
父親がかかっている*2医師は悪くなさそうだ。カウンセリングも受けられるというし。そして若干薬代も浮かせることが出来る*3だろうしね。

歪んだ「愛」。

俺が歪んだ愛、具体的には変態性欲に対して興味深いというか寛容というか、自分自身もおそらく変態性欲に支配されていると思われるのはたぶん、まっすぐな「愛」を知らないからだと思うんだ。

*1:男女の愛とは敢えて書きません。狭い意味での「愛」、性的な「愛」にもいろいろなかたちがあるから。それは同性愛とは限らないかもしれないけれども。

*2:父も大したことはないけれども不眠と鬱とパニックで通院しているのですわ…。

*3:父は病院職員なので治療費がタダというか、実費のみになるのです。