嶽本野ばら「カフェー小品集 (小学館文庫)」

「居場所」を求めて彷徨う人がいる。
この本はそんな心地よい「居場所」の話。


「居場所」が何処なのか。それはその人にもよります。そのかたちも様々です。
一度、僕は好きだった喫茶店を失いました。
否、失ったというわけではありません。スパゲティを出すお店が、オムライスを出すお店に変わっただけです。
でも僕はそこのスパゲティが好きだった。
何故かは知らないけれども妙に惹かれて、その場所(百貨店の一階です)で食事をする機会があったときは、独りで立ち寄ってスパゲティを食しました。
ずっと存在すると思っていたものが急になくなる、かたちを変える。
そんなことはよくあることだと、分かっているのだけれども…。


僕にとっての「居場所」。
他でもないです、昨日からずっと書いていますが。
それはハードオフ
誰かから必要とされなくなったジャンク品。
でもそれは、ひょっとしたら誰かにとっては宝物かもしれない。
そういう場所だった。
何故か知らないけれどもあのジャンク品の海はすごく居心地が良かった。
糞つまらない学校がやっと終わった帰りにジャンク品コーナーでお宝ゲームハードを発掘して、バスで帰るのが好きでした。
それが、いつのまにか無くなろうとしている。
僕はどう戦ったらいいのだろう。
今からでは遅いのか?
ニュー速にスレをたてるくらいしかできなかったが、もっと大きく動いてもいいかもしれない。
そこが「居場所」だと思う人がいる限りはね。
(この際お互いのジャンルを気にしてはいられません。オーディオ愛好家もオールドPC愛好家も、そしてゲームハード愛好家も戦わなくてはいけない。)
今、電気用品安全法に猛烈に怒っているのは、そんな「居場所」への思いがあるからかもしれないです。


恋の物語も切なかったけれども、それよりも舞台となったカフェーを想像するのが楽しかったなぁ。
地元にも良さげな、へんなお店があります。なんとなく居心地が良さそうな喫茶店。今度、時間があるときは足を運んでみよう。煙草を持って、独りで。