中島らも「今夜、すべてのバーで」

活字というのは活字中毒者にとって麻薬である。
麻薬だから枯渇すれば欲するわけで。
大分活字中毒という依存症から立ち直っていたのだがだめだ。
ここのところ連続飲酒のように活字を追う日々なんですね。


よく「子供に本を読ませましょう」とか「若者の読書離れが云々」とかほざく奴がいる。
馬鹿言ってるんじゃねぇと思う。
読書というのはいわばバーチャル・リアリティの一種、疑似体験なのだ。
疑似体験とはいっても脳内に文章を展開し、ある種夢のような空間、つまり想像の世界を作り上げる。
だから現実を見れない夢想家が出来る。
俺は自分の子供を育てるときにけっして「本を読みなさい」とか言わないようにしようと思っているんだ。
別に自分の意志で読むぶんには構わないけど、親がそういう方向に導くのはなんだかねー、って思うんでございますよ。


何が言いたいかというと自分が風邪でふらふらの脳味噌でさっさと寝なくてはいけないのにも関わらず「今夜、すべてのバーで」を熱中して読んでしまいこんな時間になったからなのです。
俺はなぜか知らないが片手間に本を読むということができない。
一度読み出すと終わりまで読んでしまう。
加えてどうも俺は本を読むのが速いらしい。
確かに一冊の本を一日で読み終えてしまう。ちなみに今日は一冊半。


さて本題に入ろう。
俺はアルコール依存症の恐怖云々について語るつもりはない。
ただ中島らものドラッグに対する主張に関しては全面的に肯定する。
たちの悪いリーガル・ドラッグだからね、アルコールは。
実際世界的にアルコールはどんどん規制の方向へと向かっている。
俺が生きているうちに冗談抜きで禁酒法が施行される国も出てくるだろう。
(ただし、かのアメリカの悪法とは違い、きちんとした依存症治療が提供されるという前提で、だが)
それなのになぜタール以外人畜無害の葉っぱがいけないのか、というのは至極真っ当である。
そしてアルコールを販売し酒税を取るのも、イリーガルドラッグを売るのと全く同じ事であるというのもね。


まぁそれは置いておいて。
何より感銘を受けたのはやはり、死生観だな。
感銘を受けたというか、至極共感できるというか。
「死んでも自分という存在を消さないために作品を残すんだ」というのは、しょうもないけれども表現者として深く感銘を受けた。
そしてラスト。ラストはもの凄くアレなんだよ。本当に、エチルアルコールをストレートで飲むようなラストだ。
でも素晴らしいラストだね。


結局中島らもは「小島」にはなれずにずっと酒に溺れ続けて酒で死んだ。
でもいいんじゃねぇかって思う。幸せな死に方じゃねぇか。
そして何より作品が世に残ったということはすごく大きいと思います。


さてと、オナニーでもして寝るかとブログの決まり文句を書いてみる。
いや、風邪を引くと熱を出さない限りやっぱり種の保存の本能が出るのかちんぽこ元気になるんですよ。