純愛から単性生殖へ

※リンク先、この記事ともにKURAU Phantom Memoryの重大なネタバレがあるのでご注意ください。
もっとも「KURAUなんか興味ねーよ」という人は寧ろ読んでいただきたいが。

なるほど。
こういう視点でKURAU Phantom Memoryを見ていた人もいるのか。
KURAU Phantom Memoryに対してこういう批評は初めて見ました。
読んでみると確かになぁ、と思える部分もある。


俺の場合とにかく「ヲタク復帰して初めてハマったアニメ」ということが大きいからなぁ。
とにかくもう、多少のアラがあっても全然気にならなかった。
すごく楽しめた。
気持ちよく物語が収束した、という印象がある。


最後のクリスマスからリナサピエン・クラウが生まれるというオチ。
確かに度肝を抜いたな…。
だけれども「クリスマス、また幸せを取り戻したなぁ…」っていう印象だった。
とにかく物語がハッピーエンドになったことがすごく嬉しかった。
あまりにも(リナクス)クラウとクリスマスは不幸だったからね…。


しかし、確かに考えてみたら気持ち悪い話である。
単性生殖なんか想像できないしなぁ。
ある日自分から自分のような存在が出てくる…。
だけれどもリナサピエンたちは「対」その一言でそれを自然に受け入れた。


「対」というかたち、まぁそれは基本的に同性なわけだけれども。
それは確かに「愛」だったのだろうか?という疑問はある。
愛とは違う、もっと本能的なものだったのではないだろうか。
それは我々ただのホモサピエンスには分からないけれども。
ホモサピエンスに戻ったクラウも、クリスマスも結局最後お互いを愛せなかったというのがね…。
悲しかったなぁ。
人間だったら、たとえ変わってしまってもその人を愛し続けたと思うのだけれども。


なんというか、「対」はホモサピエンスの「愛」とは違う関係だったなぁと思う。
見ていた当時は愛の物語だと思っていたけれども。
対同士の超能力的関係(詳細は忘れてしまったけれども…)もそうだし、なんというか絶対的というか。
うーん、難しいなぁ。


KURAU Phantom Memoryの最終回を「不気味」と評した評論は初めて見たなぁ。
確かに考えてみると不気味ではある。
KURAUの放送を見ていたときはなんというか熱病に冒されたようなもので、自然に受け入れられていたのだけれど。
なんか23、24話をまた見たくなったな。
こればっかりはちょっとすぐ見たい。
ということで明日見てみます。見た上でまた感想も書きます。
本当は全部見たいんだけどね。
それは受験が終わるまではさすがにおあずけかなぁ。