「心と心をつなぐ」講演

なんか、はてなの方が本家でこっち*1が分家のようですが、とりあえずはこっちも続けていこうと思います。
あんまり深い意味はありませんがね。


さて。
今日は1、2時間目に「福祉教育」ということで、「心と心をつなぐ」という講演がありました。
講師は、「教師のためのロールプレイング入門 (〈生徒指導の基本実際〉シリーズ (11)) 」などの著書もある金子賢先生。
大変興味深いお話をされました。
メモもいっぱいとったよ。


講演の内容を紹介してから、自分の感想を書こうと思います。


まず、先生は定時制の生徒を誉めました。
学業と仕事を両立して偉い、と。
そして自らがカウンセラーを行う学校では、親に喰わせてもらっているということでまだ子供が多い、と。
でも、俺に言わせてもらえばうちの学校こそ子供の集まりだと思いますが…。
(そのことについては後述します。)


そして、「人間は人との関わりの中でしか生きられない」と言いました。
その通りだな、と。
俺はそりゃあテメェの好きなことだけやりたいです。でも、他者とのコミュニケーションを一切断ち切ろうとは思っていない。
(そうでなかったら、こんなBlogなんかやってません。まぁ、はてなでは「俺の、俺による、俺のための日記」なんて言ってますが。)
そして、コミュニケーションのためにはやはり自己犠牲も必要だな、と。


講演はプリントを基に行われました。
このプリントを捨てる人が多くて俺は心が痛んだ。


プリントの最初に、「人は皆、かけがえのない生を生きている。その生を絶対的なものとして尊重し合うこと。」とあります。
そして、それはもちろん自分のことも。
自分の命は自分だけのものではなく、先祖代々受け継がれ、そして今歴史の最先端を生きている。と。


二つ目は「人それぞれが、可能性をもって生きている。お互いにその可能性を信じ、その可能性を掘り起こして行けるよう努めること。」です。
先生はずっと「可能性」という言葉を使っていました。
そう、だからその可能性を他人が奪っちゃいけないんだよな。


三つ目の項目は「人は皆、感じ方や行動のしかたが異なっている。違いを認め、それぞれの世界を理解し合うよう努めること。理解することが愛することに繋がる」です。
そして、生徒に「目をつむって下さい」と言いました。
その後に、「何が聞こえたか?」という質問をしました。
誰もが同じ聞こえ方をするわけではない。見るものも、聞こえてくることも違う。それを教えるために、です。


四つ目は「理解の仕方はさまざまあるが、まずは今、目の前に居る人に心を寄せ、理解しようと努めることから始めよう。」です。
そして、頭の中で自己紹介を「五つ」してください、と言いました。


五つ目は「理解するには、あいての表情やしぐさや言葉がなければ無理。あいてをよく見、話を良く聞こうとしなければ理解はできない。」です。
そして、「手をとめてください」と。
実は一人一人無意識に表現をしている。「手は何を伝えようとしていたのか?」ということを伝えたくてそう指示されました。
言葉だけではない世界を知ろう、と。


六つめは「相手に話してもらうには、こちらも心開かねばならない。正直な心で相手に対そう。」です。
これに関してはあまり説明はされませんでしたが、確かにその通りだと思います。


七つ目は「自分もまた相手に理解してもらえるよう努めよう。そのためには自己表現が適切にできるよう訓練することがたいせつ」です。
そう、自己表現って大切なんだよなぁ。
そして、それが出来ない人がうちの定時制には多い…。
自己表現の訓練というのは役者のはしくれの俺にとっても重要なことだと思います…。


八つ目は「相手と話しているとき、自分にはどういう気持ちや感情が起きているかを確かめて行くことも大切。」。
この話を聞いたとき、俺は世阿弥のことばを思い出しました。
役者というのは、常に「演じている自分を見つめている自分」がなくてはいけない、ということ。
最も俺の場合、鬱のときそれがひどくなっちゃって、自分が自分でなくなったような感じでしたが…。


最後に「何よりも大切なのは、思いやり。思いやりはこちらが相手に気に入られようとすることではない。自分を大切に思う心をもっていなければ人を大切にできはしない。」
その通りだと思います。


その後はプリントに無い話をされました。
その中からいくつか興味深い話を。


先生は、うちの学校の生徒の最悪の態度を「面白くって仕方が無い」って言いました。
うむ、確かにそうだ。
マン・ウォッチャーの俺としてもたまらないっす。
「すごいパフォーマンス、自己表現」と言いました。


カウンセラーという仕事柄、先生はいわゆる非行少年少女とも向き合います。
そして、「暴走族の生徒なんかは、一対一で話すと寂しがりやが多い」と。
なるほど。なるほど。


んで、青年期の課題は「アイデンティティの確立」であると。
まぁこれ自体は現代社会の授業で知っていました。
でも、確かにそうだよなぁ、と。


友人関係については(相談でいちばん多いのはやはり友人関係だそうです。)、「お互いに独自性、主体性を大切にする、それが友情」と。
中学生女子のような、依存関係ではダメだと。


そして最後に、「クライアントを見たら火星人だと思え」という言葉。
要するに「分かったつもりになるな」という事らしい。
思い込みで決めるな、と。


俺が金子先生の話を聞いて、そして最後にバカヤンキーに接しているのを見て俺は、この人とだったら心を開くな、さすがだなと思いました。
とにかく物腰が柔らかいんです。
それはテクニックとか、そういうんじゃないなぁと。


ではでは。
俺の思ったことを、最後にまとめて。


先生が言っていたことは、とどのつまり「他人を知るには、まず自分から」ということだなと思うのです。
自分のことが分からないことには他人とうまくコミュニケーションもできないよ、と。


でも、うちの学校の人たちを見ると、自分自分、とにかく自分。
ザ・自己中の俺が見てもそう思えちゃうのです。
そして幼いなぁ…と。
幼いということはつまり、アイデンティティが確立されてないってことです。


昔の俺はひどかった。
こういう講演じゃ間違いなく寝てるか、心の中でツッコミを入れていたでしょう。
そうじゃなくって、素直に聞ける様になった。
俺も成長したなぁ。(自分で言うな。)


そして素直に聞けない、ってのはやっぱり心が貧しいんだと思います。
もったいない。大変もったいない。
生きて行く姿勢というものはやっぱポジティブじゃないとね。


先生は、お互いに認めあう必要があったと言ったけどね。
でもどうしようもなく嫌いな奴ってのもいるわけで。
死んじまえとすら思った。
そういう人と素直にコミュニケーションできる先生は凄いなぁ。


ま、そんな感じ。
知っている話が多いとはいえ、大変参考になりました。
人とのコミュニケーションの仕方、苦手ですから。どもっちゃうし。


そして、自分を知りアイデンティティを確立するという段階はもう終わったなぁ、と。
それが終わったら、今度は他の人を思いやれるようにならないと。
時間はかかったけど、そうなれて良かったな。


最後に。
プリントの最後に転載されていた、パールズ(ゲシュタルト療法の創始者)のことばを。


私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
私はなにも、あなたの気に入られようとこの世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも、私の気に入られようとこの世にいるわけじゃない。
あなたはあなた、私は私。
もし我々が、おたがいであうなら、そりゃあ、すばらしいこと。
もし出会わなかったら、そりゃあ、しかたのないことさ。

*1:つまり、そっち。